2010年 10月 06日
ヒワタリ楽器店 友の会 |
皆さんは吉祥寺にヒワタリ楽器と言うお店があったのをご存知でしょうか?閉店してしまってもう5~6年になるでしょうか。私が子供の頃は吉祥寺・丸井の目の前にあった楽器店です。
私が楽器を初め5年くらい経ちヴィンテージギターに興味を持ち出した頃はもうヒワタリ楽器店は移転し、末広通りの真ん中辺りにひっそりと店を構えておりました。外から見ると一見クラシック奏者御用達の楽器店だと思うほど店先には「ヤマハ・ピアノ」や「鈴木バイオリン」の看板が並んでいたと言う事もあり、なかなか店に入る勇気がありませんでした。
何時だったか店の前で足を止めて中をのぞくと大きな「SUN」のベースアンプがありました。私は今までクラシック御用達楽器店だと思っていたので少し驚き、さらに中をのぞきました。するとバイオリンや管楽器が並ぶショーウインドウの向えにはなななんと!ギブソンの古い古いアーチトップギターが何本か並んでいるではないですか!もちろん見慣れたロゴではなくもっと古いタイプの物だったりです。さすがにギブソン社のL-5などはなかったですが、L-7やL-50などはありました。それに今思えばチャーリークリスチャン・ピックアップの付いた、ギブソンのラップスチールもありました。が、その頃スチールギターなどには手も出していなかったですし、いわゆるピックギターなんかはおじさんが弾く物だと思ってたので・・・
何度かお邪魔するようになり、店主が話掛けてくれる様になりました。ちなみに二十歳そこそこ自分からすれば店主はおじいしゃんでした。その店主はものすごく優しく色んな話を何時もして下さいました。
時同じ頃、私はブルースにぞっこんでして、ホワイトブルースから始まり、三大キングに行き、マディーやハウリンなどなどのブルース三昧でした。ブルースバンドを組みかなり色んなライブハウスやライブイベントに出るようになりました。そうなるとギターが欲しくなる訳で、当時の自分の収入には全くもって適してない大金を叩いて購入したギブソン社のESー345を買いました。でもそれは60年代中頃のモデルだった割には安かったのです。もちろん335に比べて安いですし、ケースが社外製と言う事もあったり・・・
購入して間もない頃、新聞紙でギターの型を取り私はヒワタリ楽器に行きました。そして店主に思い切って「このタイプが入るハードケースはないですか?」と聞きました。すると「ちょっと待ってよ!345でしょ?倉庫にケースがあった様な気がするから、2~3日下さい探しておくから」と言ってくれました。
そして何日か過ぎ私はヒワタリ楽器へ。すると「ありましたよ!」と言って出してくれたのが、私が所有する年代とちょうど同じ頃のオリジナルケースでした。私はあまりにもびっくりし、やった~!と言う気持ちとオリジナルケースっていったいいくらなんだ?と逆に不安さえ出てきてしまいました(笑)ですが私の気持ちとは正反対で店主は晩弁の笑みでした。「いや~昔の事だから忘れてたけど、確かお客さんがいらいと言って置いてった物なんだよ」と言う感じでした。
さて問題のお値段ですが、私は「おやっさんおいくらですか?」と恐る恐る聞くと「いくらもらえば良いのかな?こんな汚いケース・・・じゃあ500円ください」と・・・。私は「えっ?500円?そんなまさか?ダメですダメです」と言って1万円を呈示したのですが却下されました。それで5千円も却下でした。結局500円で、じゃあ何かピックでも買ってくださいみたいな事になり、ピックをかなり買いました。そのピックもデットストックなんですギブソンの(笑)これがものすごく良くって今でも私はアコギを弾く時はそれを使っています。でもどうしよう?あと残り20枚くらいです。
その後も通うようになり、何時だったかおやっさんが「そんなにギター好きならこれなんかどう?」と見せてくれたのが1960年の本物のギブソンのカタログでした。私はもうびっくりで何分?何十分見てたかわからないぐらいでした。もちろんカラーコピーもさせてもらいました(笑)
もしかしたら今ではオークションなどでカタログは手に入るかもしれませんが、ヒワタリ楽器に置いてあった当時のカタログはそんじょそこいらのとは違います。当時の価格がドルとおやっさんの手書きで書いた日本円の値段が書いてあるのです。おやっさんが話してくれた事ですが「へたすると日本車より高かったですよ」と笑いながら話してくれました。ちなみに横田基地から仕入れをしてた頃もあったと語っていました。
60年代はトッププレーヤー達もヒワタリ楽器で購入してたと聞きました。覚えている名前がドリフターズやマヒナスターズ。それとやはりジャズマンが多かったそうです。
そんな良いお話をいっぱい聞かせてくれていたのですが、ある日店に行くと「今度閉店するんですよ。人に貸そうと思ってますが御用の時は何時でも」なんておやっさんは言ってました。その時もやはり何本か良いギターあったのですが、こちらの方がお金がなくて結局買えませんでした。おやっさんが言ってたのは「大手楽器店が買う話になってます」と言う話でした。そして数日後前を通ると看板が外されてました。
高田漣先生と知り合い、楽器屋話の最中に出てきたのがこのヒワタリ楽器店。もちろん師匠も地元なので気になり入った内のひとりです(笑)高田漣氏所有のリッケンバッカーのスチールギターはかなりレアな7弦ラップスチールなのですが、ヒワタリ楽器で購入したそうです。みんなこの楽器店に物語ありですね。
なぜ今こんな話をしているかと言いますと、楽器店閉店後は不動産屋やデニムショップが並んでいたのですが、昨日前を通ると建物が取り壊されておりました。なので思い出したようにブログを書きました。
ちなみにこの写真に写っているピックが例のデットストックのピックです。大事に使っているので、ロゴが消えてますね(笑)もちろん大事に使っていると言う言い方はへんですよね?消耗品ですからね。すっごくペラペラなピックなのであまり減りません。がへんに弾くと割れます。もしくは無くします(泣)おやっさんどうしているんだろう。
私が楽器を初め5年くらい経ちヴィンテージギターに興味を持ち出した頃はもうヒワタリ楽器店は移転し、末広通りの真ん中辺りにひっそりと店を構えておりました。外から見ると一見クラシック奏者御用達の楽器店だと思うほど店先には「ヤマハ・ピアノ」や「鈴木バイオリン」の看板が並んでいたと言う事もあり、なかなか店に入る勇気がありませんでした。
何時だったか店の前で足を止めて中をのぞくと大きな「SUN」のベースアンプがありました。私は今までクラシック御用達楽器店だと思っていたので少し驚き、さらに中をのぞきました。するとバイオリンや管楽器が並ぶショーウインドウの向えにはなななんと!ギブソンの古い古いアーチトップギターが何本か並んでいるではないですか!もちろん見慣れたロゴではなくもっと古いタイプの物だったりです。さすがにギブソン社のL-5などはなかったですが、L-7やL-50などはありました。それに今思えばチャーリークリスチャン・ピックアップの付いた、ギブソンのラップスチールもありました。が、その頃スチールギターなどには手も出していなかったですし、いわゆるピックギターなんかはおじさんが弾く物だと思ってたので・・・
何度かお邪魔するようになり、店主が話掛けてくれる様になりました。ちなみに二十歳そこそこ自分からすれば店主はおじいしゃんでした。その店主はものすごく優しく色んな話を何時もして下さいました。
時同じ頃、私はブルースにぞっこんでして、ホワイトブルースから始まり、三大キングに行き、マディーやハウリンなどなどのブルース三昧でした。ブルースバンドを組みかなり色んなライブハウスやライブイベントに出るようになりました。そうなるとギターが欲しくなる訳で、当時の自分の収入には全くもって適してない大金を叩いて購入したギブソン社のESー345を買いました。でもそれは60年代中頃のモデルだった割には安かったのです。もちろん335に比べて安いですし、ケースが社外製と言う事もあったり・・・
購入して間もない頃、新聞紙でギターの型を取り私はヒワタリ楽器に行きました。そして店主に思い切って「このタイプが入るハードケースはないですか?」と聞きました。すると「ちょっと待ってよ!345でしょ?倉庫にケースがあった様な気がするから、2~3日下さい探しておくから」と言ってくれました。
そして何日か過ぎ私はヒワタリ楽器へ。すると「ありましたよ!」と言って出してくれたのが、私が所有する年代とちょうど同じ頃のオリジナルケースでした。私はあまりにもびっくりし、やった~!と言う気持ちとオリジナルケースっていったいいくらなんだ?と逆に不安さえ出てきてしまいました(笑)ですが私の気持ちとは正反対で店主は晩弁の笑みでした。「いや~昔の事だから忘れてたけど、確かお客さんがいらいと言って置いてった物なんだよ」と言う感じでした。
さて問題のお値段ですが、私は「おやっさんおいくらですか?」と恐る恐る聞くと「いくらもらえば良いのかな?こんな汚いケース・・・じゃあ500円ください」と・・・。私は「えっ?500円?そんなまさか?ダメですダメです」と言って1万円を呈示したのですが却下されました。それで5千円も却下でした。結局500円で、じゃあ何かピックでも買ってくださいみたいな事になり、ピックをかなり買いました。そのピックもデットストックなんですギブソンの(笑)これがものすごく良くって今でも私はアコギを弾く時はそれを使っています。でもどうしよう?あと残り20枚くらいです。
その後も通うようになり、何時だったかおやっさんが「そんなにギター好きならこれなんかどう?」と見せてくれたのが1960年の本物のギブソンのカタログでした。私はもうびっくりで何分?何十分見てたかわからないぐらいでした。もちろんカラーコピーもさせてもらいました(笑)
もしかしたら今ではオークションなどでカタログは手に入るかもしれませんが、ヒワタリ楽器に置いてあった当時のカタログはそんじょそこいらのとは違います。当時の価格がドルとおやっさんの手書きで書いた日本円の値段が書いてあるのです。おやっさんが話してくれた事ですが「へたすると日本車より高かったですよ」と笑いながら話してくれました。ちなみに横田基地から仕入れをしてた頃もあったと語っていました。
60年代はトッププレーヤー達もヒワタリ楽器で購入してたと聞きました。覚えている名前がドリフターズやマヒナスターズ。それとやはりジャズマンが多かったそうです。
そんな良いお話をいっぱい聞かせてくれていたのですが、ある日店に行くと「今度閉店するんですよ。人に貸そうと思ってますが御用の時は何時でも」なんておやっさんは言ってました。その時もやはり何本か良いギターあったのですが、こちらの方がお金がなくて結局買えませんでした。おやっさんが言ってたのは「大手楽器店が買う話になってます」と言う話でした。そして数日後前を通ると看板が外されてました。
高田漣先生と知り合い、楽器屋話の最中に出てきたのがこのヒワタリ楽器店。もちろん師匠も地元なので気になり入った内のひとりです(笑)高田漣氏所有のリッケンバッカーのスチールギターはかなりレアな7弦ラップスチールなのですが、ヒワタリ楽器で購入したそうです。みんなこの楽器店に物語ありですね。
なぜ今こんな話をしているかと言いますと、楽器店閉店後は不動産屋やデニムショップが並んでいたのですが、昨日前を通ると建物が取り壊されておりました。なので思い出したようにブログを書きました。
ちなみにこの写真に写っているピックが例のデットストックのピックです。大事に使っているので、ロゴが消えてますね(笑)もちろん大事に使っていると言う言い方はへんですよね?消耗品ですからね。すっごくペラペラなピックなのであまり減りません。がへんに弾くと割れます。もしくは無くします(泣)おやっさんどうしているんだろう。
by steelfriend
| 2010-10-06 00:16
| 自分事
|
Comments(5)
何年も前のブログにお邪魔してコメントしてすみません。ヒワタリ楽器は1971年ごろ、パール(確かドラムのメーカー)製のオンボロバンジョーを買ったのと、30年前(1982年ごろ)キタオリ製のピックギターを買ったお店でした。
Chakiのピックギターが欲しくて値切って買おうとしたら応じてもらえず、価値のわからない奴には売らないという感じでした。残念で試奏してたらまじめにピックギターが欲しいのをわかってくれたのか2階の倉庫からキタオリのギターを持ってきてくれてこれならいいよと売ってくれました。
弦などを買いに行くと、アロハシャツを着たオヤジさんがマラカスでリズムを刻んで一人ノッていたりするmやたらと印象深い店でした。
Chakiのピックギターが欲しくて値切って買おうとしたら応じてもらえず、価値のわからない奴には売らないという感じでした。残念で試奏してたらまじめにピックギターが欲しいのをわかってくれたのか2階の倉庫からキタオリのギターを持ってきてくれてこれならいいよと売ってくれました。
弦などを買いに行くと、アロハシャツを着たオヤジさんがマラカスでリズムを刻んで一人ノッていたりするmやたらと印象深い店でした。
Commented
by
steelfriend at 2012-09-10 06:26
うえさん
おはようございます。
「ヒワタリ楽器」のお話ありがとうございます。
そう言うお話大好きなのでとても嬉しく思います。
店の跡地は一度更地になり今では新築の家が並んでいますね。
今でもひとつ後悔しているのは私がスティールギターやピックギターに
もう少し早く興味をもっていればおやっさんにお話聞けたと思う事です。
おやっさんに聞いた事があるのは「マヒナスターズ」や
ギター漫談をするような「〇〇兄弟」みたいな方もかなり
ヒワタリ楽器のお客様とお聞きしています。
そのアロハシャツを着た方はどなただったのか?
それもなんだか謎ですし、ノスタルジックでワクワクします。
また気軽にコメント下さい。それでは・・・
おはようございます。
「ヒワタリ楽器」のお話ありがとうございます。
そう言うお話大好きなのでとても嬉しく思います。
店の跡地は一度更地になり今では新築の家が並んでいますね。
今でもひとつ後悔しているのは私がスティールギターやピックギターに
もう少し早く興味をもっていればおやっさんにお話聞けたと思う事です。
おやっさんに聞いた事があるのは「マヒナスターズ」や
ギター漫談をするような「〇〇兄弟」みたいな方もかなり
ヒワタリ楽器のお客様とお聞きしています。
そのアロハシャツを着た方はどなただったのか?
それもなんだか謎ですし、ノスタルジックでワクワクします。
また気軽にコメント下さい。それでは・・・
あ、書き方が悪かったので別のおじさんのように思えたかもしれませんが、店のおやっさんです。
西日の射す狭いショーウィンドウにマーチンやらなんやらがギュウギュウと並んでいたお店でした。ほかの楽器屋さんと違い、面白そうな楽器が並んでいた印象があります。
俳優の中村梅雀さんもこの近所だったらしく、ベース等の取り寄せを頼んでいたらしいですね。
西日の射す狭いショーウィンドウにマーチンやらなんやらがギュウギュウと並んでいたお店でした。ほかの楽器屋さんと違い、面白そうな楽器が並んでいた印象があります。
俳優の中村梅雀さんもこの近所だったらしく、ベース等の取り寄せを頼んでいたらしいですね。
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by
bike king man
at 2020-01-19 13:04
x
はじめまして。
突然にひわたり楽器さんの事を思い出し、検索をかけてみるとこちらの記事がヒット。
25年ほど前、某楽器メーカーの営業をしており、ひわたりさんの営業担当でした。
営業に行くとお茶を入れていただいたり、商売抜きにとても親切にしてくださったご主人でした。
そういえば僕ら営業はマスターと呼んでいて、店を訪ねるといつもラジオの英会話番組で勉強していましたっけ。
誕生日にハンコつきのボールペンをいただきました。
会社を辞める時には、ヤイリのアコギまでいただきました。
以来、吉祥寺にも行く機会もありませんが、あの街も当時とは大きく変化している事でしょう。
突然にあのマスターのメガネをかけて笑う顔、声を思い出しました。
本当にお世話になった方でした。
長文大変に失礼しました。
突然にひわたり楽器さんの事を思い出し、検索をかけてみるとこちらの記事がヒット。
25年ほど前、某楽器メーカーの営業をしており、ひわたりさんの営業担当でした。
営業に行くとお茶を入れていただいたり、商売抜きにとても親切にしてくださったご主人でした。
そういえば僕ら営業はマスターと呼んでいて、店を訪ねるといつもラジオの英会話番組で勉強していましたっけ。
誕生日にハンコつきのボールペンをいただきました。
会社を辞める時には、ヤイリのアコギまでいただきました。
以来、吉祥寺にも行く機会もありませんが、あの街も当時とは大きく変化している事でしょう。
突然にあのマスターのメガネをかけて笑う顔、声を思い出しました。
本当にお世話になった方でした。
長文大変に失礼しました。
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by
steelfriend at 2020-01-19 23:55
> bike king manさん
はじめまして
書き込みありがとうございます。
ヒワタリ楽器のおやっさんと親しくされていたのがとても伝わりました。英語の勉強のお話、微笑んでしまいました。
自分が寄らせていただくようになったのは1994年ぐらいからでしたが、お話している時の優しい笑顔や、店内にいると流れている時間さえ、なんだか違う感じに思ってしまいました。
両親が経営していた喫茶店の常連さんのなかにも数名ヒワタリ楽器ではじめてギターを買った、なんて言うお話を聞いていたのですが、昔は吉祥寺丸井の向かいにお店があったと聞いています。
それでは失礼いたします。
はじめまして
書き込みありがとうございます。
ヒワタリ楽器のおやっさんと親しくされていたのがとても伝わりました。英語の勉強のお話、微笑んでしまいました。
自分が寄らせていただくようになったのは1994年ぐらいからでしたが、お話している時の優しい笑顔や、店内にいると流れている時間さえ、なんだか違う感じに思ってしまいました。
両親が経営していた喫茶店の常連さんのなかにも数名ヒワタリ楽器ではじめてギターを買った、なんて言うお話を聞いていたのですが、昔は吉祥寺丸井の向かいにお店があったと聞いています。
それでは失礼いたします。