2011年 04月 16日
今週は 友の会 |
先月末あたりから「てぬぐい」のいとうさんと連絡を取り合っていた。
全く音楽の話しではなく、彼が長年愛用してきたバイクを誰かに譲り受けて欲しいと言う話しだった。
彼らしいのは処分(捨てる)ではなく、出来る限り誰かに乗って欲しいと、メールを読んでいて伝わる文章だった。
物を大事にするのが基本の彼らしい。と、私は知ったふりをしているが彼のプライベートな事は知らない。だが彼と出会った頃、1本のストラトを弾かせてもらった事がある。それは弾きこまれたギターだった。私も元々ストラト弾きなので、F社のストラトのセッティングが落ち着くまでのダメさもよく知っている。
彼のストラトは自分色に染められた良いギターだった。そのギターを弾かせてもらったのは我々が20代後半の時で、彼に「これは何時から使ってるんですか?」と私が聞くと「中高生の事からです」と彼は言っていた。その話しと今回のバイクの話しが私にはリンクしてしまった。
何度と会い、引き継ぐ人も見つかり、バイクと鍵を預かった。そこで私はまた驚く事になる。まず鍵2本ともオリジナル。そして買った時のままのサービスマニュアルが3冊入っていた。私が知る限りそんな人は殆どいない。素晴らしい。
今週木曜日、無事に新しい持ち主に引き継ぎが出来た。ちなみに何十年振りにバイクに乗る61歳の方だ(笑)嬉しそうに運転して立川まで帰って行った。
話し2。
連日実家の片付け…片付けなどと簡単に言えるものではないな、解体みたいな作業だ。この家には何箇所かデットスペースがある。驚くだろうが私自身見た事のない押入れなどもだ。
いよいよそのスペースを片付けだした。1番下の段にダンボールがあった。恐る恐る開けて中を覗く。するとビニールに包まれた使われていないフォトアルバム3冊と中身の入った封筒が数枚出てきた。アルバムはそのまま捨てるつもりではじっこによけて封筒を覗く。
すると幼い頃の父や母の写真だった。私は始めて見る写真の数々、本人達と見ていないので、どれが本人かは分からない感じ?(笑)だが考えてみた。もしや私に似てるのを探せば分かるのではないかと。すると見つかるは!見つかるは!(笑)おやじだ。
なんと戦時中疎開先の写真まであった。そして小中高とあるのだが、おやじのこのなんだとっぽさは(笑)同級生達が足袋だか?靴だか?分からない様な物を履いている横でおやじはバスケットシューズを履いている。ハイカラだ。そしてアウトロー時代「愚連隊」(当時どこにも所属しないで闇の仕事をする様な人達)。すごい時代だ。
それから1枚のフォトスタジオの封筒を開けた。ちゃんと一冊の開きになっているやつを開けて見る。それは両親が高田馬場で暮らしていた頃撮影したと思われる物だった。結婚式などする事なくこの世を去った両親だったのだが、写真で残っていて本当に嬉しく、私は目にあついものが出て止まらなかった。
次の日何気なく捨てるつもりのフォトアルバム3冊を中がキレイなら前日見つけた写真でも貼ろうかなと思い、フォトアルバムをめくった。するとこれまた両親の歴史がつまったアルバムだった。
2人は夏になれば海に2ヶ月貸家を借り、冬は毎週の様にスキーに行く。そして我が家にはアメリカ兵がいっぱい泊まる不思議な暮らしと生前私は聞いていたのだが、正しくその記録だった(笑)
どちらにしても捨てなくて良かった(汗)それとなんと言っても写真の中の2人はとにかく幸せそうで私は嬉しい。そしてこの数々多くの写真を見つけられてしまい、まいったな〜と上から両親は照れながら見ている事だろう。
全く音楽の話しではなく、彼が長年愛用してきたバイクを誰かに譲り受けて欲しいと言う話しだった。
彼らしいのは処分(捨てる)ではなく、出来る限り誰かに乗って欲しいと、メールを読んでいて伝わる文章だった。
物を大事にするのが基本の彼らしい。と、私は知ったふりをしているが彼のプライベートな事は知らない。だが彼と出会った頃、1本のストラトを弾かせてもらった事がある。それは弾きこまれたギターだった。私も元々ストラト弾きなので、F社のストラトのセッティングが落ち着くまでのダメさもよく知っている。
彼のストラトは自分色に染められた良いギターだった。そのギターを弾かせてもらったのは我々が20代後半の時で、彼に「これは何時から使ってるんですか?」と私が聞くと「中高生の事からです」と彼は言っていた。その話しと今回のバイクの話しが私にはリンクしてしまった。
何度と会い、引き継ぐ人も見つかり、バイクと鍵を預かった。そこで私はまた驚く事になる。まず鍵2本ともオリジナル。そして買った時のままのサービスマニュアルが3冊入っていた。私が知る限りそんな人は殆どいない。素晴らしい。
今週木曜日、無事に新しい持ち主に引き継ぎが出来た。ちなみに何十年振りにバイクに乗る61歳の方だ(笑)嬉しそうに運転して立川まで帰って行った。
話し2。
連日実家の片付け…片付けなどと簡単に言えるものではないな、解体みたいな作業だ。この家には何箇所かデットスペースがある。驚くだろうが私自身見た事のない押入れなどもだ。
いよいよそのスペースを片付けだした。1番下の段にダンボールがあった。恐る恐る開けて中を覗く。するとビニールに包まれた使われていないフォトアルバム3冊と中身の入った封筒が数枚出てきた。アルバムはそのまま捨てるつもりではじっこによけて封筒を覗く。
すると幼い頃の父や母の写真だった。私は始めて見る写真の数々、本人達と見ていないので、どれが本人かは分からない感じ?(笑)だが考えてみた。もしや私に似てるのを探せば分かるのではないかと。すると見つかるは!見つかるは!(笑)おやじだ。
なんと戦時中疎開先の写真まであった。そして小中高とあるのだが、おやじのこのなんだとっぽさは(笑)同級生達が足袋だか?靴だか?分からない様な物を履いている横でおやじはバスケットシューズを履いている。ハイカラだ。そしてアウトロー時代「愚連隊」(当時どこにも所属しないで闇の仕事をする様な人達)。すごい時代だ。
それから1枚のフォトスタジオの封筒を開けた。ちゃんと一冊の開きになっているやつを開けて見る。それは両親が高田馬場で暮らしていた頃撮影したと思われる物だった。結婚式などする事なくこの世を去った両親だったのだが、写真で残っていて本当に嬉しく、私は目にあついものが出て止まらなかった。
次の日何気なく捨てるつもりのフォトアルバム3冊を中がキレイなら前日見つけた写真でも貼ろうかなと思い、フォトアルバムをめくった。するとこれまた両親の歴史がつまったアルバムだった。
2人は夏になれば海に2ヶ月貸家を借り、冬は毎週の様にスキーに行く。そして我が家にはアメリカ兵がいっぱい泊まる不思議な暮らしと生前私は聞いていたのだが、正しくその記録だった(笑)
どちらにしても捨てなくて良かった(汗)それとなんと言っても写真の中の2人はとにかく幸せそうで私は嬉しい。そしてこの数々多くの写真を見つけられてしまい、まいったな〜と上から両親は照れながら見ている事だろう。
by steelfriend
| 2011-04-16 07:20
| 自分事
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