2010年 12月 05日
荻窪川南 友の会 |
朝、目覚めてカーテンを開けると晴天。そしてとても温かい陽気。
今日は父の四十九日。そして納骨式を行う日である。
四十九日を迎える間は実家で供養していたのだが、今日待ち合わせが早い事もあり、昨夜お骨を基地に運んだ。お骨を抱え歩いている私はふと思い出した。私が幼稚園に通っていた頃、同じこの道を約2年間父と母とで歩いたり、自転車に乗ってお店へ出かけていた。
今この歳になって考えれば両親が経営し繁盛していた店をわざわざ閉め、この久我山に移り住み、新たに店をオープンした数年間はおそらく経済的に大変だったと思う。最初はマンションに住んでいたらしいのだが、売り上げも思うように上がらずにいたのではないだろうか。次はこのアパーに引っ越し、そして次は風呂なしアパートだった。今私が暮らすこのアパートはこれまでにリフォームを何度も繰り返している訳なのだが、当たり前に部屋の大きさは当時のままだ。ここで親子3人で暮らしていたと思うとすごい。と言うよりは今の時代ワンルームは家族契約は殆ど認めていない時代なので、私が幼少の頃は世間もそんな感じだったのだろう。
大きい声で言いたいが私はうちが貧乏なんて思った事もなかった。と言うよりは幸せだったと思うし、何よりもそう感じさせない両親の愛だろう。
この今と同じアパートでこんな事件があった。父はもちろんトランクス派だった。男の人なら分かると思うのだが、たまになにが出てしまう事もある(笑)ある日の朝、4歳の英樹君が発見してしまった!寝ている父のなにがパンツの横から出ているので母に報告した「かーちゃん!とーさんの〇〇〇〇が出ているよ!」と・・・すると台所仕事をしていた母はこう言った「じゃあ噛んじゃえば?」と・・・まさか母は噛むとは思っていなかったので4歳の英樹君を気にしていなかった。その直後であるアパート中に父の「痛ってぇ~~~」と叫んだ事は言うまでもない(笑)ここは本当に覚えている事が多い。例えば夜鳴くニワトリとか(笑)
余談になってしまったがそんな事のあったアパートにお骨を連れて来た訳なので、上から父は何を思った事だろうか?(笑)
お墓に向かう。とは言っても10分で着いてしまう距離。もう皆さん集まっていた。先月の29日にバンマスと寺で四十九日法要を済ませていたので、今日はお坊さんは呼んでいない。その代わりに石材屋さんが取り仕切ってくれるのだ。もちろんこの方に私は墓を作ってもらったんだが、いろいろと教えてくれて勉強になる。そしてその方が何も言わず先に入っている母の隣に父のお骨を並べ墓に入れてくれた。不思議と私はほっとした気持ちになった。そして夫婦また共に入れてあげる事が出来て良かった。ずっとまた一緒にいれる両親。
ここ最近皆で墓に訪れる度に伯母達は常套句の様にこう言う「次は誰だ?」と笑って言う。でも笑えてない。それもそうだ母の兄弟で末の伯父さんが63歳。1番上の伯母さんが75歳なのだから。そんな事を言っていた伯母が突然大声で泣き出した。私はビックリしてしまった。その伯母は母の直ぐ上の姉で父の店には旅行などでいない日以外はほぼ毎日店で珈琲を飲みに通ってくれた。おそらく1番両親と仲良くしてくれていた方です。若い頃からアウトローだった父だが、この伯母さんの言う事は聞いていた。すごいのが父も母も中学生の頃から知っている訳だから、もちろん兄弟達も父が若い時から知っている。全員兄弟に見えてくるうちの血縁関係(笑)
納骨式が済み、この荻窪川南を皆で見渡す。なんてたって伯母達皆この辺で育ったたんだから皆話が面白い。さて続いて会食に向かう。当初は硬い和食屋に行くつもりだったのだが、私の悪友太郎が先日店をオープンしたので、皆を引き連れ「うまいもんや太郎」に行った。
1週間前に話しをしたのだが、私よりも緊張していた太郎(笑)それもそうだ!これまた私の伯父伯母は太郎の事を子供の頃から見ている訳だから(笑)緊張しながらも刺身と小鉢がかなり並んだコースにしてくれた。そんな太郎の心配りのおかげで暗い話ではなく、笑い話が多かった。
事実上私はまだ結婚もしていない。両親を亡くしたので1人となった訳だ。昔流に言うと天涯孤独と言うそうだ。だがどう考えてもそんな気分ではないな。仲間もいる、怖い伯母と伯父がうようよいる。そして両親の友達が私をかまってくれる。レンダースで言えば父を亡くしたのは10月だったが、気にする間もなくイベントの準備をする事で気が紛れた。そして必ず節目の時にM兄弟がメールをくれた。それはありきたりな言葉ではなく、彼ら兄弟にしか言えない言葉だったりする。バンマスも彼女が生きて来たその時のありのままの辛い気持ちを教えてくれた。さ~がんばろう。
今自分で文書を書いてて気づいたかもしれない。父は小学校1年生の時に母(お祖母さん)を亡くしたそうだ。父の兄と姉とは腹違いだったと聞いている。うちの母と暮らしだして数年経った頃、父(お祖父さん)は亡くなった。よは今の私と同じ気分?父も「もう誰もいないのか」と思った頃、9人兄弟だった母の血縁関係が父の親戚になった訳で父は嬉しくて、毎日楽しかったのではないだろうか?・・・続く。
by steelfriend
| 2010-12-05 09:00
| 自分事
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