2014年 09月 11日
社会科 友の会 |
今日は仕事お休み。
たまにはこちらから起こしてみよう。
あいにく天気は愚図ついているが珍しく午前中からの出発だ。いってみれば今日はリベンジなのだ。浅草橋からめぐりんに乗る。今日は時間も早いので1日乗車拳を買う。もう慣れたもんだ。田原町で降りるか?菊水通りで降りるか?迷うところだが菊水通りで降りる事にした。雷門通りを東に歩き、雷門向かい辺りの路地へと入っていく。ビルと一軒家、そして江戸手描提灯のちょうちん屋などが並ぶこれぞ下町の雰囲気。そんなところに目当ての店がある。
うなぎ 色川
数年前に知り合いが連れて行ってくれた店。名物おやじ六代目の大将がいたが今年亡くなってしまったと知る。だけど女将さんが切り盛りしていた。この味が食べれて嬉しい。
俺の下手な写真で女将さんに申し訳ないですが、これうなぎが小さいのではなく、お重が大きいのであしからず。ここのうな重は何が良いっておやくそくの松竹梅だとか、上だの特上だのランクがない。あるのは量を表すふつうとたっぷりだけ。メニューもその他に白焼きと肝焼きだけ。実に分かりやすく俺は好き。それに混んでいると待合室がわりに奥の小上がりへ通してくれる。その部屋がまた心地良くて何年も通う民宿みたい。昼なのでふつうにしたが、たっぷりでもいけたと思う程にぺろっと食べれちゃう。ごちそうさまでした。
食べている時、外はどしゃ降りだったが店を出ると空に晴れ間が出始めた。東武浅草駅に向かう。そこから北めぐりんに乗る。このコースは隅田川沿いのスポーツ施設から職人の街へと入って行く。そしてとにかく寺や稲荷が多い。バスは吉原大門前で停止。チラッとバス停を見ると大門の目の前がこどもなかよし図書館。ん~なんか不思議。
さてバスは右折。そこはいわゆる土手通り。昔はここに遊廓との境い目に土手があったらしい。この辺りの地名は日本堀と言う。前に聞いた話だが昔は二本堀と書いていたそうだ。それを聞くと土手があったとなんとなく想像出来る。
なんだかあっという間に三ノ輪駅に到着。全く浅草とは違う雰囲気だ。バンマスととりあえず喫茶店で作戦を練る。せっかくなので観光気分では行けないが我々は浄閑寺に行く事にした。言葉悪いがちゃらちゃらした寺や神社とは全く空気が違かった。もちろん写真などは撮らないでおく。
さてなんだか映画のワンシーンのような常磐線の高架下を潜る。薄暗く先程まで降っていた雨水がバシャバシャと溢れている。ガードを潜ると次に不思議なCDショップがあるかと思えば昼営業していないパチンコ屋などがあって不思議な事が続く。そして昭和通り(旧日光街道)を渡る。
都電荒川線・三ノ輪橋駅目印の梅沢写真会館が出て来た!いわゆる「王電ビルヂング」昭和2年の建物だ。
建物入口に入るとちょっと見えて来た荒川線。けど少し焦らして我々は…
ジョイフル三ノ輪商店街へ。ここ2度目だが正直言って俺、浅草や上野より興奮する。
いや~良い商店街だ。ちなみに我らがさくまっちのフェイバリット商店街でもあった。さくまっちにインタビューすると餃子屋とパン屋がおすすめとの事。
アーケードに入り何か臭うと思っていたが、ここが香りのど真ん中(笑)
商店街の路地は全てこんな感じ。
こんな感じのお店が多い。品物は少なめで棚には商品が殆どない。大体どの店もいちばん奥に女将さんが腰を掛け、テレビを見ながらお友達と井戸端会議中だ。それにしても量り売りってのが良い。
気づけば我々荒川一中前って駅まで来ていたのでそろそろ乗ります。
都電荒川線(写真は三ノ輪橋駅 録音清水)
いや~良いっすね。最近バスでもいち度閉めたドアをなかなか開けてくれないけど、都電は閉めたドアを開けてくれるだけでなく、ご年配の方が駅を目指して歩いているのが分かると停車して待っていました。続いて町屋を通過。この時点ではまだ気づかない事がありました。
さて我々荒川遊園で下車。なんでしょうこの感じ。道路に都電に学校に交番に公園みたいな街並みです。我々が生まれる前の荻窪や新宿もこんな感じだったのでしょうか?荒川遊園に向かうと旧荒川線が!そして区民プール。でっかいヴィンテージマンションの真裏にそのプールなので、まるでシェラトンワイキキかと思いました。さすが荒川区。
荒川遊園。
客、俺らだけ…
スタッフの方が多かった(笑)
荒川遊園裏の隅田川。
人通りが少なく寂しく思った。
そして野良猫愚連隊多数発見。
尋常じゃない猫の多さ。
ぶらぶら商店街を歩く。インド系やパキスタン系の方と多くすれ違う。そして教会が多い。気づけば小台って駅まで歩いていたようだ。余談だがこの街に「キッズギター」と言うギター工房が昔あった。工房のシグネチャコピーモデルはドンズバ。例えばニールヤングのレスポールやジョージのストラトは評判だった。
さて小台から都電に乗り三ノ輪橋まで戻る。バンマスが「確か姉夫婦が昔お店やってたのは町屋だったかな?」とつぶやいた。バンマス方向音痴はもちろんだが地名も何時も曖昧。以前そんな話を聞いたがそれは綾瀬とか言ってた気がする。すると呆気なく町屋駅の手前辺りで都電から姉夫婦が経営していた店を発見する…。町屋って名前のインパクトの強さを忘れるとはさすがバンマスだ。
三ノ輪橋に戻った。駅前にかなり良さそうな喫茶店を発見する。コーヒーとホットドッグセット380円とかなり安い。メニューの中にフルーツサンドなどもある。入りたいがずっと食べているのでかなり悩む。すると常連のおやっさんが話かけて来た「ここ安くて美味いよ!昭和な感じも良いでしょ!」とおやっさん。でもおやっさんがいちばん昭和ぽいと思った。我々喫茶店を堪え街を後にした。
さてそろそろ社会勉強第二弾がはじまる。皆さんは三ノ輪と南千住と浅草と聞くと何を想像しますか?俺は育った環境のせいでしょうか、日本三大ドヤ街のひとつ「山谷」を真っ先に思い浮かべる。ちなみにドヤとはドヤ顔ではなくスラングです。江戸時代南千住界隈は元々宿場町だったそうです。
そして江戸~明治時代まで千住には刑場があったそうです。吉野通りと明治通りが重なる交差点を「泪橋」と言います。当時ここには橋が掛かっていたそうです。その橋を渡る前に家族などとの別れの場であり、この世との別れの場であり、生きて渡る最後の橋なので皆涙を流した事から泪橋と付いた説があるそうです。
我々の世代で泪橋と聞くと「あしたのジョー」を思いだしますが、まさしくここが舞台であり、物語の中では泪橋の下に丹下ジムがある訳ですね。
ちなみに有名な話しで現在交差点にはセブンイレブンがあります。そのセブンイレブンは世界本店と言う店名です。かつてここには日雇い労働者御用達の立ち飲み屋があり、その屋号が世界本店。ちょっとセブンイレブン粋ですよね。この日もコンビニの前はおやっさん達のカフェテラスになっていました。
山谷の路地。俺も昔この辺りに人を訪ね数回来た事があるのですが、その時よりも活気がなくなった気がします。この街も高齢化なのでしょうか。今の若い子日雇いのバイトなんてしないですもんね。皆「ヤバイ」って口癖だけど、ここで2~3日暮らすと本当にヤバイって言葉の意味が分かるので、ぜひチャラい男の子達には体験してもらいたいです。
さすがに西成は行った事はないが、10代の頃にここ山谷と横浜の寿町はよく行った。俺のイメージでは山谷より寿町のが‘‘ヤバイ’’って印象です。あそこはどうもドラッグのイメージが強い。現在山谷は外国人のバックパッカーが多くお洒落な宿が増えた。とは言っても昔ながらの宿は多く「全室カラーテレビ完備」の文字は相変わらずだ。
バンマスと山谷から東浅草をかなり歩き、忘れていた下町の風景がいっぱい見れた。そしてふたりでいろいろ話をした。
せっかくなので矢吹の兄貴に会いに行く(笑)ジョーの故郷とされるいろは商店街にも行きましたが、そろそろおやっさん達がアーケードで寝る準備をしていたので、申し訳なく直ぐに商店街を後にした。
今日のしめは浅草に戻り翁そばへ。
カレー南蛮がアロマテラピーのように
我々をほっとさせてくれました。
浅草公会堂前。
渥美清さんをやっとみつけた。
今日の散歩は歩く方向と目的地の順序で、
その街の見え方が全く違うと言う事を再認識しました。
たまにはこちらから起こしてみよう。
あいにく天気は愚図ついているが珍しく午前中からの出発だ。いってみれば今日はリベンジなのだ。浅草橋からめぐりんに乗る。今日は時間も早いので1日乗車拳を買う。もう慣れたもんだ。田原町で降りるか?菊水通りで降りるか?迷うところだが菊水通りで降りる事にした。雷門通りを東に歩き、雷門向かい辺りの路地へと入っていく。ビルと一軒家、そして江戸手描提灯のちょうちん屋などが並ぶこれぞ下町の雰囲気。そんなところに目当ての店がある。
うなぎ 色川
数年前に知り合いが連れて行ってくれた店。名物おやじ六代目の大将がいたが今年亡くなってしまったと知る。だけど女将さんが切り盛りしていた。この味が食べれて嬉しい。
俺の下手な写真で女将さんに申し訳ないですが、これうなぎが小さいのではなく、お重が大きいのであしからず。ここのうな重は何が良いっておやくそくの松竹梅だとか、上だの特上だのランクがない。あるのは量を表すふつうとたっぷりだけ。メニューもその他に白焼きと肝焼きだけ。実に分かりやすく俺は好き。それに混んでいると待合室がわりに奥の小上がりへ通してくれる。その部屋がまた心地良くて何年も通う民宿みたい。昼なのでふつうにしたが、たっぷりでもいけたと思う程にぺろっと食べれちゃう。ごちそうさまでした。
食べている時、外はどしゃ降りだったが店を出ると空に晴れ間が出始めた。東武浅草駅に向かう。そこから北めぐりんに乗る。このコースは隅田川沿いのスポーツ施設から職人の街へと入って行く。そしてとにかく寺や稲荷が多い。バスは吉原大門前で停止。チラッとバス停を見ると大門の目の前がこどもなかよし図書館。ん~なんか不思議。
さてバスは右折。そこはいわゆる土手通り。昔はここに遊廓との境い目に土手があったらしい。この辺りの地名は日本堀と言う。前に聞いた話だが昔は二本堀と書いていたそうだ。それを聞くと土手があったとなんとなく想像出来る。
なんだかあっという間に三ノ輪駅に到着。全く浅草とは違う雰囲気だ。バンマスととりあえず喫茶店で作戦を練る。せっかくなので観光気分では行けないが我々は浄閑寺に行く事にした。言葉悪いがちゃらちゃらした寺や神社とは全く空気が違かった。もちろん写真などは撮らないでおく。
さてなんだか映画のワンシーンのような常磐線の高架下を潜る。薄暗く先程まで降っていた雨水がバシャバシャと溢れている。ガードを潜ると次に不思議なCDショップがあるかと思えば昼営業していないパチンコ屋などがあって不思議な事が続く。そして昭和通り(旧日光街道)を渡る。
都電荒川線・三ノ輪橋駅目印の梅沢写真会館が出て来た!いわゆる「王電ビルヂング」昭和2年の建物だ。
建物入口に入るとちょっと見えて来た荒川線。けど少し焦らして我々は…
ジョイフル三ノ輪商店街へ。ここ2度目だが正直言って俺、浅草や上野より興奮する。
いや~良い商店街だ。ちなみに我らがさくまっちのフェイバリット商店街でもあった。さくまっちにインタビューすると餃子屋とパン屋がおすすめとの事。
アーケードに入り何か臭うと思っていたが、ここが香りのど真ん中(笑)
商店街の路地は全てこんな感じ。
こんな感じのお店が多い。品物は少なめで棚には商品が殆どない。大体どの店もいちばん奥に女将さんが腰を掛け、テレビを見ながらお友達と井戸端会議中だ。それにしても量り売りってのが良い。
気づけば我々荒川一中前って駅まで来ていたのでそろそろ乗ります。
都電荒川線(写真は三ノ輪橋駅 録音清水)
いや~良いっすね。最近バスでもいち度閉めたドアをなかなか開けてくれないけど、都電は閉めたドアを開けてくれるだけでなく、ご年配の方が駅を目指して歩いているのが分かると停車して待っていました。続いて町屋を通過。この時点ではまだ気づかない事がありました。
さて我々荒川遊園で下車。なんでしょうこの感じ。道路に都電に学校に交番に公園みたいな街並みです。我々が生まれる前の荻窪や新宿もこんな感じだったのでしょうか?荒川遊園に向かうと旧荒川線が!そして区民プール。でっかいヴィンテージマンションの真裏にそのプールなので、まるでシェラトンワイキキかと思いました。さすが荒川区。
荒川遊園。
客、俺らだけ…
スタッフの方が多かった(笑)
荒川遊園裏の隅田川。
人通りが少なく寂しく思った。
そして野良猫愚連隊多数発見。
尋常じゃない猫の多さ。
ぶらぶら商店街を歩く。インド系やパキスタン系の方と多くすれ違う。そして教会が多い。気づけば小台って駅まで歩いていたようだ。余談だがこの街に「キッズギター」と言うギター工房が昔あった。工房のシグネチャコピーモデルはドンズバ。例えばニールヤングのレスポールやジョージのストラトは評判だった。
さて小台から都電に乗り三ノ輪橋まで戻る。バンマスが「確か姉夫婦が昔お店やってたのは町屋だったかな?」とつぶやいた。バンマス方向音痴はもちろんだが地名も何時も曖昧。以前そんな話を聞いたがそれは綾瀬とか言ってた気がする。すると呆気なく町屋駅の手前辺りで都電から姉夫婦が経営していた店を発見する…。町屋って名前のインパクトの強さを忘れるとはさすがバンマスだ。
三ノ輪橋に戻った。駅前にかなり良さそうな喫茶店を発見する。コーヒーとホットドッグセット380円とかなり安い。メニューの中にフルーツサンドなどもある。入りたいがずっと食べているのでかなり悩む。すると常連のおやっさんが話かけて来た「ここ安くて美味いよ!昭和な感じも良いでしょ!」とおやっさん。でもおやっさんがいちばん昭和ぽいと思った。我々喫茶店を堪え街を後にした。
さてそろそろ社会勉強第二弾がはじまる。皆さんは三ノ輪と南千住と浅草と聞くと何を想像しますか?俺は育った環境のせいでしょうか、日本三大ドヤ街のひとつ「山谷」を真っ先に思い浮かべる。ちなみにドヤとはドヤ顔ではなくスラングです。江戸時代南千住界隈は元々宿場町だったそうです。
そして江戸~明治時代まで千住には刑場があったそうです。吉野通りと明治通りが重なる交差点を「泪橋」と言います。当時ここには橋が掛かっていたそうです。その橋を渡る前に家族などとの別れの場であり、この世との別れの場であり、生きて渡る最後の橋なので皆涙を流した事から泪橋と付いた説があるそうです。
我々の世代で泪橋と聞くと「あしたのジョー」を思いだしますが、まさしくここが舞台であり、物語の中では泪橋の下に丹下ジムがある訳ですね。
ちなみに有名な話しで現在交差点にはセブンイレブンがあります。そのセブンイレブンは世界本店と言う店名です。かつてここには日雇い労働者御用達の立ち飲み屋があり、その屋号が世界本店。ちょっとセブンイレブン粋ですよね。この日もコンビニの前はおやっさん達のカフェテラスになっていました。
山谷の路地。俺も昔この辺りに人を訪ね数回来た事があるのですが、その時よりも活気がなくなった気がします。この街も高齢化なのでしょうか。今の若い子日雇いのバイトなんてしないですもんね。皆「ヤバイ」って口癖だけど、ここで2~3日暮らすと本当にヤバイって言葉の意味が分かるので、ぜひチャラい男の子達には体験してもらいたいです。
さすがに西成は行った事はないが、10代の頃にここ山谷と横浜の寿町はよく行った。俺のイメージでは山谷より寿町のが‘‘ヤバイ’’って印象です。あそこはどうもドラッグのイメージが強い。現在山谷は外国人のバックパッカーが多くお洒落な宿が増えた。とは言っても昔ながらの宿は多く「全室カラーテレビ完備」の文字は相変わらずだ。
バンマスと山谷から東浅草をかなり歩き、忘れていた下町の風景がいっぱい見れた。そしてふたりでいろいろ話をした。
せっかくなので矢吹の兄貴に会いに行く(笑)ジョーの故郷とされるいろは商店街にも行きましたが、そろそろおやっさん達がアーケードで寝る準備をしていたので、申し訳なく直ぐに商店街を後にした。
今日のしめは浅草に戻り翁そばへ。
カレー南蛮がアロマテラピーのように
我々をほっとさせてくれました。
浅草公会堂前。
渥美清さんをやっとみつけた。
今日の散歩は歩く方向と目的地の順序で、
その街の見え方が全く違うと言う事を再認識しました。
by steelfriend
| 2014-09-11 22:30
| 散歩
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