2008年 06月 09日
五島列島からの連絡 |
家は喫茶店を父が経営していたので、世間の皆さんとはちょっと違ったシステムが多い。
親戚でもなければなんでもない人と親戚以上の付き合いをしている事がよくある。
俺からすると沢山のおじ様達「怖い」がいる。そんな中でも俺を子供の頃から本当に
可愛がってくれる人が6人くらいいる。その中の1人の方は今から10年前くらいの
50歳を過ぎた頃、初めての結婚をした。その人は映画関係の仕事をしている人で、
年がら年中撮影場所を求めて日本全国を旅している。
そんな旅中に立ち寄った北海道の一軒の家で奥さんと出会った。
奥さんは30代後半だったと記憶している。もちろん奥様も初婚。お互い直ぐに話は進み、
奥さんは東京は杉並の久我山に出てきた。奥さんはさばさばしてて俺の周りの人と直ぐに
仲良くなり、家の両親とも直ぐに打ち解けて、式の媒酌人になる事になった。
結婚式も直ぐに決まったのだが、ここからである・・・皆どこかヤクザなので(笑)
式に誰を呼ぶかや席順などなど問題は山ほどあり、毎日約1ヶ月はミーティングした。
結婚式当日ホテルへ向かう。ホテルの従業員達は俺にこう聞いた。
「大変申し訳ない事をお聞きしますが、今日の結婚式に来られる方達は、
そのすじの方達ですか?」と・・・俺は笑うしかなかった(笑)
ただただ皆礼服が似合う人が多いだけと言うか、確かにそう言う人もいたかもしれないが、
大体は「元」が付く人が多いのかな?と・・・
そして結婚をする旦那の1番の親友が司会を務める事になったのだが、
当日びびって一瞬逃げたのです(爆)そんなドタバタな感じで結婚式は始まりました。
友人達がスピーチをするのですが、涙で話せなくなったり。
旦那が奥さんに向かって歌を歌ったりと、それはそれは良い結婚式でした。
そしてホテルの人達もこんな良い結婚式は久しぶりですと言ってくれた。
その後、奥さんの仕事の関係で調布に引越しをしてからは、なかなか会えずにいました。
旦那さんは五島列島に、一軒家を建てていて何時かは田舎に帰ろうと決めていた様でした。
そして夫婦で五島列島に帰る事を決めたのが、今から3年くらい前の事で、
帰る前日俺は調布まで引越しの手伝いに行ったのですが、
逆にいろいろな相談に乗ってくれました。と言うのも倒れた母がいたので、
本当に励ましてくれたし、それとは別にいろいろとプライベートな事まで
本当に心配してくれていました。
そして出発の日に2人は車で五島まで帰るので、途中に家の両親にあいさつをしに
わざわざ久我山によってくれました。2人は家の母と泣きあっていた事を思い出します。
そしてこの日がまさか俺達と奥さんが、最後に会う日になってしまうとは思わなかった。
五島列島に着き生活を始めたと連絡をもらい、俺達も本当に良かったね~と
話をしてたのだが半年、1年くらいの時連絡をもらいました。
奥さんが、がんに侵されている事が分かったと言うのです。
そして治療が始まり、旦那さんも田舎暮らしではお金の面で守ってあげられないので、
撮影があると東京まで出てきて、仕事をこなして終わると、五島へ帰る生活をしていました。
その間に家の母の死などがあり、2人は自分達の事もさておき、俺の心配をしてくれました。
去年の秋に東京に旦那さんが出てきた時に呑みに行きました。
その時、俺に涙ながらに「奥さんを守ってあげたい」とずっと言っていた。
そして「くやしい、くやしい」と俺に言っていた。
「でも英樹、俺の生き様を見てろ」と言っていた事を俺は絶対に忘れない。
そして今日、五島から俺に奥さんが亡くなったと連絡がありました。
しかも奥さんが亡くなったのは4月の事。
この人は自分で乗り越え気持ちに決着を付けて、東京に仕事で出てくる。
人を好きになる事や友達を愛す事を教えてくれる
しかも俺の周りの人は口だけではなく、時には自分の身で教えてくれる。
俺の周りのおじさん達は俺の自慢で誇りです。
天国に旅立った奥さんへ
俺を心から心配してくれて、応援してくれて本当にありがとうございました。
約束は守れなかったけど、今をがんばります。
心からお悔やみ申し上げます。
親戚でもなければなんでもない人と親戚以上の付き合いをしている事がよくある。
俺からすると沢山のおじ様達「怖い」がいる。そんな中でも俺を子供の頃から本当に
可愛がってくれる人が6人くらいいる。その中の1人の方は今から10年前くらいの
50歳を過ぎた頃、初めての結婚をした。その人は映画関係の仕事をしている人で、
年がら年中撮影場所を求めて日本全国を旅している。
そんな旅中に立ち寄った北海道の一軒の家で奥さんと出会った。
奥さんは30代後半だったと記憶している。もちろん奥様も初婚。お互い直ぐに話は進み、
奥さんは東京は杉並の久我山に出てきた。奥さんはさばさばしてて俺の周りの人と直ぐに
仲良くなり、家の両親とも直ぐに打ち解けて、式の媒酌人になる事になった。
結婚式も直ぐに決まったのだが、ここからである・・・皆どこかヤクザなので(笑)
式に誰を呼ぶかや席順などなど問題は山ほどあり、毎日約1ヶ月はミーティングした。
結婚式当日ホテルへ向かう。ホテルの従業員達は俺にこう聞いた。
「大変申し訳ない事をお聞きしますが、今日の結婚式に来られる方達は、
そのすじの方達ですか?」と・・・俺は笑うしかなかった(笑)
ただただ皆礼服が似合う人が多いだけと言うか、確かにそう言う人もいたかもしれないが、
大体は「元」が付く人が多いのかな?と・・・
そして結婚をする旦那の1番の親友が司会を務める事になったのだが、
当日びびって一瞬逃げたのです(爆)そんなドタバタな感じで結婚式は始まりました。
友人達がスピーチをするのですが、涙で話せなくなったり。
旦那が奥さんに向かって歌を歌ったりと、それはそれは良い結婚式でした。
そしてホテルの人達もこんな良い結婚式は久しぶりですと言ってくれた。
その後、奥さんの仕事の関係で調布に引越しをしてからは、なかなか会えずにいました。
旦那さんは五島列島に、一軒家を建てていて何時かは田舎に帰ろうと決めていた様でした。
そして夫婦で五島列島に帰る事を決めたのが、今から3年くらい前の事で、
帰る前日俺は調布まで引越しの手伝いに行ったのですが、
逆にいろいろな相談に乗ってくれました。と言うのも倒れた母がいたので、
本当に励ましてくれたし、それとは別にいろいろとプライベートな事まで
本当に心配してくれていました。
そして出発の日に2人は車で五島まで帰るので、途中に家の両親にあいさつをしに
わざわざ久我山によってくれました。2人は家の母と泣きあっていた事を思い出します。
そしてこの日がまさか俺達と奥さんが、最後に会う日になってしまうとは思わなかった。
五島列島に着き生活を始めたと連絡をもらい、俺達も本当に良かったね~と
話をしてたのだが半年、1年くらいの時連絡をもらいました。
奥さんが、がんに侵されている事が分かったと言うのです。
そして治療が始まり、旦那さんも田舎暮らしではお金の面で守ってあげられないので、
撮影があると東京まで出てきて、仕事をこなして終わると、五島へ帰る生活をしていました。
その間に家の母の死などがあり、2人は自分達の事もさておき、俺の心配をしてくれました。
去年の秋に東京に旦那さんが出てきた時に呑みに行きました。
その時、俺に涙ながらに「奥さんを守ってあげたい」とずっと言っていた。
そして「くやしい、くやしい」と俺に言っていた。
「でも英樹、俺の生き様を見てろ」と言っていた事を俺は絶対に忘れない。
そして今日、五島から俺に奥さんが亡くなったと連絡がありました。
しかも奥さんが亡くなったのは4月の事。
この人は自分で乗り越え気持ちに決着を付けて、東京に仕事で出てくる。
人を好きになる事や友達を愛す事を教えてくれる
しかも俺の周りの人は口だけではなく、時には自分の身で教えてくれる。
俺の周りのおじさん達は俺の自慢で誇りです。
天国に旅立った奥さんへ
俺を心から心配してくれて、応援してくれて本当にありがとうございました。
約束は守れなかったけど、今をがんばります。
心からお悔やみ申し上げます。
by steelfriend
| 2008-06-09 04:15
| 自分事
|
Comments(0)